ペイネのキオスク(野外音楽堂)
 
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  1942年、ドローム県のヴァランス市に少しの間滞在していたレイモン・ペイネは、ヴァランスのキオスク(野外音楽堂)-建築家ポワトゥーによって1890年に18,000フランの費用で造られた-のそばで初めて彼の‘恋人たち’を描きました。

レイモンペイネは取引先に重要書類を届けるためにヴァランス市に赴いていました。ペイネは相手を待っている間、時間を潰すため、いつも携えていたスケッチブックにヴァランスのキオスクや、音楽家などを描き始めました。そのうちの一人はちょっと長めの髪の毛をしていて、特別にコンサートを聴いている小さな女性も描きました。

ペイネは語ります。「ベンチの上に座り、目の前にあるヴァランスのキオスクを描いた。そのステージの上では小さなヴァイオリニストが一人で演奏し、それに聴き入り、彼を待っている小さい女性がいた。それとともに、他の音楽家のみんなは自分たちの楽器をケースに入れ、公園にあるヴァランスのキオスクから立ち去ろうとしているのも見ることができる。」
お話の中でその小さな音楽家は言います。「静かに立ち去ってくださいますか。僕は一人で最後までやりとおします。」
ペイネはヴァランスのキオスクの前で描いたその絵を「未完成交響曲」と名づけました。

ヴァランスのキオスクの前で創造されたその二人に魅了されたリック・エ・ラックの編集長マックス・ファヴァルリはそのカップルを‘ペイネの恋人たち’と名づけました。

‘ペイネの恋人たち’の二人は瞬く間に有名になり、すぐに後世に残るような通俗的版画の仲間入りを果たしました。‘ペイネの恋人たち’の人気は突然のものであったと同時に永続的なものでもありました。ペイネは、それ以来、多くの刊行物のために常に一貫したテンポで作品を作りました。‘ペイネの恋人たち’に描かれる二人は、ペイネに世界的名声を約束しました。

‘ペイネの恋人たち’のインパクトは大きなもので、ヴァランスのキオスクが頻繁に彼の作品に登場することとなり、その作品の中で定期的に手直しが行われるほどです。


ある日、ヴァランス市役所は、なんらかの建設事業のためにキオスクを取り壊そうとしました。しかし、ある市議会議員がキオスクにまつわる話の一部を読み、その計画に断固反対しました。

それ以来‘ペイネの恋人たちのキオスク’(これがキオスクの名前です)は歴史記念碑になりました。